私の病名は双極性障害である物語

双極性障害と共に生きなけばならない日々を振り返りつつ、向き合って生きていく現状と精神病への未だに残る偏見について問題提起もしていけたらと思います。

小学校4年生からの私

何故か、4年生になると、一転、明るくなったというか、友達も出来た。

クラス替えがあったせいもある。

4年から大休憩と言うものが出来た。

2時間目と3時間目の間に20分の休憩ができたのだ。

私の通ってた小学校は、国立で、いわゆる実験校でもあった。

詳しいことはよくわからないが、当時の文部省の通達を受け入れて進めていく感じなのかな?

多分、運動不足が関係してたのかも知れない。

そんなことは露知らず、私たちは、大綱とびに夢中になって遊んでいた。

他の10分休憩は相変わらず本を読んでいた。

昼休憩も大綱飛びで遊んでいたと思う。

運動量が増えたせいか、給食もなんとか食べれるようになっていった。

それでも、図書室と、保健室は私の何かあった時の行き場所だったな

この頃から社会は好きだった。でも算数は苦手だった。

今思えば、英語があれば良かったと思うね。

今、日立製作所が全面提供している、世界不思議発見の元祖番組。

名前は忘れたけど、レポーターが世界をめぐる番組は大好きだった。

大きくなったら、そんなことしたいって思ったものだ。

おやすみ