私の病名は双極性障害である物語

双極性障害と共に生きなけばならない日々を振り返りつつ、向き合って生きていく現状と精神病への未だに残る偏見について問題提起もしていけたらと思います。

考古学と言う言葉は決して忘れなかった

小学校5年に出会った考古学と言う学問を私は決して忘れなかった。

やがて、6年になり、中学生も視野に見えてきた。と、言っても

隣の校舎ではあるが。

色々、噂が流れたものだ。テストの成績が悪かったら、中学に進めないとか。6年の3学期になると、なんとなくクラス自体がそわそわしていたような感じがしてた。

中学の入学式があった。中学から新しく入って来た子が10人程いた。

所謂、中学受験を突破して入って来た子達だから、流石に頭はよかった。

確か、知能テストを受けた。その中で新入生のA君は140点を取っていた。私は120点だったから、平均より少しいいだけだ。

後に、A君は東大行けたけど、一ツ橋大に行った。就職は国鉄、今はJR東日本だと思うけど、その後は知らない。

もう一人、一ツ橋行った男の子は、日本興業銀行入ったけど、

倒産して、その後は知らない。

チョット横道にそれたけど、私は郷土研究会に入った。すると

かれら、A君や銀行に入った子O君もいた。なんだか、私の周りには、頭のいい子がいて、お陰で、家庭教師が無料でいたってわけだ。私は文系は出来たので、数学、物理、化学、科学を教えてもらった。

こんな頃、淡い恋心なんてものも生まれて来る。

私の友人がA君を好きになって、同じクラブで同じ班の私に、なんでもいいから、A君の情報を教えて欲しいと頼んできたのだ。

よくある話だね。

おっと、考古学とずれた話となってしまった。また今度にしよう。