私の病名は双極性障害である物語

双極性障害と共に生きなけばならない日々を振り返りつつ、向き合って生きていく現状と精神病への未だに残る偏見について問題提起もしていけたらと思います。

演劇部

高校3年間すっと演劇部だった。演劇部近くには剣道部があって、よく剣道部の連中がさぼりに来ていた。

最初は脚本を読んだり、枕のマクラがマにアクセントを置くのか、クにアクセント置くのかなどと、話あったりした。今思えば、アクセント辞典があったはずなのにな。

一番覚えているのは、人間は最後になったらどうするか?と言う命題だ。

設定は雪山で救助も望めず、食料もあと僅かになった時人はどうするか?だ。

私は他の人と寄り添て温めながら、救いを待つと答えたけれど、数人は、孤独になって自分の安全を守ると言った答えだった。それは、人が人を殺して食ってしまう可能性を示唆してのことだった。

なんやかんや、午後7時頃まで、話は尽きることはなかった。

顧問の先生に言われて渋々帰ったものだ。

学校の方では、クラス委員をやったり、運動会では応援団長もした。

学校の規律はそれ程厳しくはなかったけど、私の誕生日の日。赤いソックスを履いて行ったら、体育の指導の先生に怒らた。脱いだのか?それとも無視したのか?

忘れた。なにせ、あの体育の先生は昼間から酒を食らって歩いているような先生だったから、先生としては、不合格やな。